特別レポート 南房総平久里の茅葺古民家「ろくすけ」整備

開催場所 南房総市平久里「ろくすけ」
開催日時 2012年9月18日

南房総市平久里下にある築170年の茅葺の古民家「ろくすけ」は、日本里山100選にも選ばれた懐かしい里山風景と田舎の風俗・習慣をそこここに残した地域の一角にある。
 千葉自然学校は、9年前より空き家になった古民家を借り受け、地域の皆さんの協力を得ながら家や周辺を保全整備し、都会の子供や家族が里山暮らしを体験できる場にしたいと取り組んできた。
今日はシニア自然大学の有志14名がここを視察し、地元の方々の話を聞き、できれば受講生達も今後自由に使える様々な活動の拠点にできることを夢見て集まった。

早朝8時30分に千葉駅前よりバスで出発し、館山道を一路「平久里」に向かった。途中この計画に当初から関わっている千葉自然学校・遠藤事務局長よりこれまでの経緯、現在の状況等についての説明をお聞きし岩井・富山インターを下りて山側に向かって15分も走るともうそこには静かな山里の風景が広がっていた。
お祭りの神輿が渡御する「お仮舎」に着いてバスを降りると、地元のお世話役若林さんと川名さんの二人が待っていてくれた。

若林さんは、徒歩で「ろくすけ」に向かう道すがら回りにそびえる「富山(とみさん)」や「伊予(いよ)ヶ岳(たけ)」を指し示しながら、「南総里見八犬伝」の伝説や山の名前の由来等について説明して下さり、又かつて平久里の花火は歴史も古く各家の長男が代々作り方を継承してきた貴重な伝統文化であったが、平成6年に花火工場の爆発により残念ながら途絶えてしまっていることなどを話してくれた。



「ろくすけ」には15分程で着いた。木々と竹林に囲まれた山の懐に古民家はあった。前面には今は休耕したままの棚田を見渡せる素晴らしい落ち着いた景色であった。
最近替えたばかりの新しい畳の大広間でお茶を頂きながら、39年前の昭和48年に当時25歳で地元の青年団長を勤めたという川名さんより、歴史ある「平群(平久里)のお祭り」について、お話を伺った。1353年に京都の北野天神から分祀した菅原道真を祀る天神社のお祭りであって、神輿と担ぎ屋台と花火打ち上げの奉納と3拍子そろった大変にぎやかなお祭りであるとのことである。なお、今年は10月20日(土)が宵宮でこの「ろくすけ」に住む千葉自然学校の千葉さんも地元の青年達と共に屋台を担ぐ予定だという。

若林さんと川名さんのお二人のお話を聞いて、地元の方々が地域の活性化に大変熱心に取り組んでおられる様子が感じられて私共も「ろくすけ」を通じて何かお役に立てればという思いを強くした。
昼食は、近くの和田地区の地元の方々が運営する「くすの木」より取り寄せた弁当であったが、さざえ等が入ったまぜごはんに地元特産のくじらの竜田揚げなど全て地元の産品で作った非常においしい食事であった。更に加えて元富山町町長の奥様である鈴木様がめずらしい「やんごめ」と呼ばれる赤飯の一種を作って下さり、また、栗や煮物の差し入れがあり大変豪華な食事となった。

お腹がいっぱいになったところで午後はいよいよ、敷地全般の整備作業に取り掛かった。
先ずは庭の草を刈るもの、道路両脇の生垣の枝打ちをする者、木こりよろしく体に命綱を巻きつけて直径20cmもある木を切り倒すもの、切った木や枝を短くして燃やし易いように片付ける者等存分にシニアパワーを発揮して1時間半程できれいさっぱりとなった。



大作業を終えてビールやお茶を飲みながら、車座になって周辺地域の維持・保全を含む今後の「ろくすけ」の活用の仕方、われわれシニアのかかわり方等について意見を出し合った。
先ず、「ろくすけ」整備と活用のコンセプトをしっかり固めることが大事であるということ、地域との交流、地域に受け入れてもらえることが必要であること、地域の活性化に資する活動を考えるべきである、と言った意見が出された。また飯田理事長からは、整備には当然ながら資金が問題であり、できることから少しずつ確実に進めていかねばならないと言う考えが示された。
まとめでは、われわれシニアが当面できることとして年内に①長屋門と風呂場の外壁を板張りにすること。②来春のたけのこを生え易くするための竹林整備、そして年を越えて③小鳥が集まるような実の成る樹木を植えること。.以上の3つが決まった。
最後に、参加者全員で前方の棚田に登り反対方向からの「ろくすけ」をながめ、いつかはこの棚田をわれわれの力で再生しようと誓って「ろくすけ」を後にした。

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