第56,57回講座「自然体験活動の安全管理、塩と日本人」

講師 神保清司、田村勇
開催場所 南房総市 とみうら元気倶楽部さざなみホール
開催日時 2013年2月14日

テーマは、「野外活動の緊急救助法」と「塩と日本人」
南房総市の元気倶楽部にて

神保清司講師による「自然体験活動の安全管理」講座と田村勇講師による「塩と潮の文化伝承」講座。南房総市のとみうら元気倶楽部・さざなみホールにて開催された。公民館や入浴施設に加え、富浦自慢の観光用ホール(人形劇場)も備えたユニークな公共施設での講座となる。道を挟んだ向かい側にある道の駅「とみうら枇杷倶楽部」は、早春の季節を迎えて観光客で賑わい始めていた。

午前中の神保講師による講座は、12月13日に続く講義で、緊急の事故や病気に対する対応方法について、指導者として遭遇した体験に基づいて解説された。受講生はいろいろな体験や経験をもっておられるシニアであり、緊急救助法に対する関心は高い。講師と受講生の呼吸が合って、あっという間に講義は終わっていた。
午後からは、全国各地に足を伸ばし海辺に住む人々のことを研究してこられた田村勇講師による講座。前回は漁師の仕事(漁撈)について触れ、今回は、その暮らし方や精神文化のことを中心に語られた。塩との係わりで人々の暮らしぶりを伝える民俗の話を聞いていると、忘れていた記憶が蘇り、日本人という意識が刺激されるのが不思議だ。

神保 清司講師南房総市とみうら元気倶楽部

第56回講座 「自然体験活動の安全管理」

講師 神保 清司氏(南房総市立大房岬少年自然の家所長・NPO法人千葉自然学校)
日時 平成25年2月14日(木)10:00~12:00 
場所 南房総市とみうら元気倶楽部さざなみホール
内容 心肺蘇生法と止血を中心に、野外救急法の基礎を学んだ。

緊急救助法の基礎
始めに、年に1回実施されている消防署や日本赤十字の緊急救急法の基礎講習についてどれ程の人が関心をもっているか問われた。何と受講生の半分の手が上がり、救急手当普及員資格を3名の方が持っておられることも分かり、緊急救助に対する関心の高さが窺える滑り出しとなった。

今日のテーマは、野外活動で発生する突然の事故や怪我に対する緊急の救急措置のことである。自然の中では何が起こるか分からないし、最近ではアレルギーなど子供達の健康情報に関する事前チェックなどの対応も必要とされている。最悪の場合は呼吸が止まり、心臓も動かない状況に遭遇するかもしれない。起こり得るケースとして、心拍蘇生、出血、火傷、熱中症、アレルギー、身近で頻度が高く気をつけたい生き物を例に、神保講師は順次解説を加えていかれた。受講生が実際に経験したことなどを発表してもらいながら講義を進められたので、さすがにシニアの受講生、講師が想定するようなケースになんらかの形で遭遇しておられる方がおられ、話は盛り上がり、2時間エンドレスの講義となった。

参加型講義檀上も利用して

1.心肺蘇生法について
万一こうした状況に出くわした場合には、救命へのチャンスを維持するために心臓マッサージや人口呼吸を行う緊急の救命措置が必要とされる。救急車が来るまでの間に行う措置であるが、3分間放置されると死亡率が50%になり、呼吸が止まってから10分間放置されると同じく死亡率が50%に跳ね上がるという。一刻も早く脳に酸素を送る必要がある。救急隊が到着するまでの数分間(5~6分)が救命率を大きく左右するという。心肺蘇生法のガイドラインが2010年に改訂され、これまでの手順が変更されたとのことで、市民救命者に求められる措置が変わっている。変更された要旨は、救助者は傷病者が反応しない場合は何よりも直ぐに心臓マッサージを開始することが大切であるとのこと。

蘇生するまでに「強く早い」心臓マッサージが要求される。そのために極力ほかの人を
巻き込み、疲れてきたらまわりの人に1分間だけでも代わってもらうことが肝要とのことで、それが出来るかどうかが天国と地獄ほどの差になるという。1対1での対応は恐ろしい。AEDについては、AEDが来ても心臓マッサージは同時に続け、その手順は音声ガイダンスに従えば良い。変更点について主に解説されたが、“年に1回は消防や日赤の講習会を受講しましょう。” が、最も強調されたことであった。
○改正のポイント
 ①反応が見られず呼吸していない場合、或いは、しゃくりあげるような不規則な呼吸をする場合は、即、心臓マッサージを開始すること。 
 ②心停止と判断した場合は、気道確保や人口呼吸より先に心臓マッサージ(胸骨圧迫)
を開始すること。
 ③強く絶え間ない心臓マッサージ(胸骨圧迫)が何よりも重要である。成人なら胸の真ん中を5cm以上沈むように強く押すこと。
 ④蘇生するまで1分間に100回のテンポで心臓マッサージを続けること。30回心臓マッサージし2回息を吹き込むこと。これを5回繰り返す。30分位かかる!

2.出血
 “里山に出て鎌で腕を切った。出血が多い場合の止血の方法は?”
周りの人通しで話し合ってその結果を檀上で発表することが求められた。(写真参照)正解は、切った部分を直接きれいな布やガーゼでしばらく(5-10分位)押さえておくこと。これを直接圧迫法と呼ぶが、これが止血の大原則であるとのこと。直接圧迫を先ず行い、止血点の動脈を細い紐や針金で縛る措置(これを間接止血と呼ぶ)については、神経や筋肉損傷の危険性があるので、やむ得ない場合にのみに行えばよいとのことであった。人の身体は出血に対してこれを止める調整が体内で行われている。

3.その他の事例
 ①火傷 先ず最低5~20分間は冷やすこと。水ぶくれを破かない。破れたら病院へ。
 ②熱中症
  呑まず食わずの炎天下は危険であるが、6月頃の湿度の高い室内で発生する熱中症が盲
点となっている。冷やすこと、水分補給、衣服を緩める、腋の下に保冷剤を。
 ③アレルギー
  八王子小学生のアレルギーによる死亡事故を例に、アナフィラキシーショックのアレルギー反応には、アドレナリン効果による一時的な気管拡張効果がある自己注射タイプの商品「エピペン」を処方する。
 ④ブヨ、アマガエル、ヒキガエル、クラゲなどが、身近で気を付けたい生物。

救急措置の要諦は、安静、冷却、圧迫、拳上(きょじょう)を行うことにより、悪化させずに、現状維持もしくは事態好転に向かせるように全力で立ち向かうことにある。

第57回講座 「塩と日本人」

講師 田村 勇講師
日時 平成25年2月14日(木)13:00~15:00 
場所 南房総市とみうら元気倶楽部・さざなみホール
内容 祭礼行事、民俗、経済、人生観、ことわざ、神話に見られる塩や精神文化に影響を与えた塩を通して、塩と日本人との係わりについて学んだ。

田村 勇講師南房総市富浦枇杷倶楽部

海のシンボルであった塩(潮)
 海辺に住む人々と自然に興味を抱き研究を重ねられた田村講師は、塩は海の幸であり、海そのものであるという存在ではなかったか、と思うに至ったそうである。塩の道のことを紹介されたが、古来、人は塩を求めて山地を行きかい、生活物資を運ぶ道はかっては塩の道と呼ばれていたのではないか。このように塩は人の必需品として求められてきたものであった。しかし、それだけの存在ではなく、日本人の生活にいろいろな形で結び付き、精神文化を育むなど日本人に大きな影響を与えてきた。これが今日の話のテーマである。

塩と係わりのある神事が房総半島には多く残されており、各地で行われている祭礼に見られるという。半島の全域の神社で行われているショバナ(潮花)供え、3月15日前後に内房の沿岸地域で行われているショマツリ(潮祭り・汐まつり)、夏祭り(9月23日の大原の裸祭り・9月12日の一宮の玉前神社の祭り)として行われている外房沿岸地域のシオフミ(潮踏み)と呼ばれる各地の神社の祭礼である。これらの神事は塩をお供えするものとして行われてきたものである。また、盛り塩の風習もある。盛り塩は中国の秦の始皇帝の故事(牛説)に由来するもので、日本でも殿様の例があるが、南房総では今日でも祭礼の際の神を迎える盛り砂(勝浦市遠見神社)や、千倉町白間津「大祭(おおまち)」の潮ごもりなどに見られる。また、民間でも地鎮祭で塩・水・米・酒を供える四方鎮め行事で盛り塩を見ることができる。これは悪霊に物を与え鎮める神事として行われているものである。

 葬式を終えた後「お清め」として塩をまき、盛り塩をする風習がある。穢れを払うための清めとされる。しかし、仏は穢れていないとする親鸞の教えを継ぐ浄土真宗では、葬式の後には塩は配られておらず、清める必要がないということになっている。塩はお清めのためにあるとする解釈が全てだとすると、本来塩のもっていた意味が分からなくなるのではと考え、田村氏は自らの調査結果に基づき仮説をたてられた。塩は必ずしも清めのためだけに使われていたのではなくお供えとしての意味も込められていた。これが仮説で、今日でも房総半島でもそうであるし、各地にも塩をお供える習俗が残っている。そして、お供えが塩であったとするという考え方から導き出されたのが、塩は海のシンボルとされてきたのではないかとする思いである。これが日本人の心底にあったのではと指摘された。

塩(潮)とその民俗・塩と日本人の人生観他
干満のことを知らずに海辺の生活は営めない。早潮、遅潮、弛潮、上潮・中潮・底潮、三枚潮、底干、出し潮、赤潮、青潮、白潮、草潮、など様々な干満を表す表現がある。一つ一つの潮の特徴をよく観察しており、海辺の人々はこの潮の特徴をつかんで漁撈に活かしてきた。その知恵を活かしたのが採貝、ヒビ漁、スキ漁などの干潟漁である。

全国には塩竃神社、塩尻、塩入峠など塩の名が付く地名が多くあり、南房総にもいろいろとある。地名に残るだけでなく、その効用も注目され、古来、塩風呂、たたき土・的場(荒木田)、窯業、飼牛、鞣し皮、にがりとして利用されてきた。食との関係では、塩蔵、乾物、潮汁、塩サケなどと各地にいろいろな食文化を育み、更に、塩と経済との関係でいうと、幕藩時代、塩は米と並んで必需品として貨幣価値の高いものであり、明治時代には、日露戦争の戦費を賄うため、製塩は国家によって独占的に行われてきた。

 また、精神文化に見られる塩の存在は、以下のような言葉に見てとれる。すなわち、「血潮が騒ぐ」、「初潮」、「塩気がなくなる」などの言葉があるが、これには成人の意味が付与されており、「潮時」という言葉には、誕生、産育、処世、けじめ、死期などの意味が込められた。このように成人や生死の考え方など日本人の人生観に塩は大きな影響を及ぼしてきた。時間の関係で詳しく説明はされなかったが、塩=海そのものとする考え方で推し測ると分かるような気がした。
塩梅(あんばい)=程よい味に加減する、塩売り=世に出る、見せ塩=死に際の人に見せる、塩を踏む=世間に出て苦労する、米塩の資(かて)=生活必需品、夜の塩(波の花)=夜は塩のことを語るな(波の花と呼べ)、などのことわざについても説明された。これらは、塩が古くから日本人の生活にいろいろな影響を与えてきたことを示している。

次回は、第58・59回講座(2月21日) 
第58回講座:自然体験活動の企画・立案 講師:小松 敬氏(NPO法人千葉自然学校)
第59回講座:地域再生  講師:加藤文男氏

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