第44,45回講座「地形・地質学入門」

講師 岡崎浩子
開催場所 中央博
開催日時 2012年12月6日

テーマは、「地域自然誌論」
中央博物館にて座学と展示物を教材に学習

岡崎浩子講師による「地形・地質学入門」講座。午前は座学、午後からは館内での解説と自由見学。一週休んでの講座となった。この間、季節はいつの間にか冬に入り、この一週間は寒い日が続いていた。再開された岡崎講師の話は地形・地質がテーマ。エリアを房総半島に絞って「地域自然誌論」を展開された。堆積学が専門の講師は下総台地の地層に詳しい。下総、上総、嶺岡(南房総)の各地域の特徴や房総半島の成り立ちについて語られた。半島の地形や地質は房総半島に沈み込んでいるプレートと大いに関係がある、そのことを教えてもらい、目から鱗が落ちた。そういえば、地球を覆う14-15枚のプレートの内3枚のプレートが接するのが房総半島の沖。世界でも稀な地点となっている。そのことを改めて認識させてくれる講義であった。

岡崎 浩子講師展示されているマンモスの復元像

第44・45回講座 「地形・地質入門」

講師 岡崎 浩子氏(千葉県立中央博物館 地学研究科長)
日時 12月6日(木)10:00~15:00 
場所 千葉県立中央博物館講堂及び展示室
内容 午前は房総半島の地形と地質の概要、午後からは場所を展示室に移し、ここで地形・地質の成り立ちや特徴について解説された。

房総半島の地形・地質についての疑問を解く
  ・紀伊半島には高い山があるのに、房総半島に高い山がないのは何故か?
  ・半島では硬い岩を見ることがない。どうしてだろうか?
  ・南部の山は低いにもかかわらず、どうして急峻なのか?
  ・下総や上総の大地はどうして平坦なのか?
  ・下総台地に谷津が多い何故か?
  ・九十九里の長い砂浜はどのようにできたのか?
こうした疑問に岡崎講師の講義は応えてくれた。キーワードは、プレートと海水準(海水面の高さ)である。陸のプレートに沈み込む海洋プレートの動きに大きく影響を受けている房総半島の地形・地質は、地球の気候変動による海水面の上昇、後退により陸地から内海、そして陸地化を繰り返し変化してきたという。

房総半島の成り立ちを示す断面図解説中の岡崎講師

房総半島の地形・地質の概要を語られたが、講義はプレートテクトニクスの紹介から始まった。話題がどうしても東日本大震災につながってくる。巨大なプレートの動きによって引き起こされた大地震、そのプレートは房総半島沖で別のプレートと接している。房総の地質と地形を考える上では避けて通れない。全ての地形、地質がこのプレートの動きに関係しているのだ。陸にもぐり込むプレートの影響でできた凹地に海底の砂と泥が堆積してできた下総台地や激しい地殻変動で形成された上総台地、プレート圧力で押し上げられて形成された安房丘陵など、全てが海洋プレートの影響を受けている。又、房総半島の地形の形成には、海の海面水準が大きな影響を与えた。10万年周期で繰り返す氷河期の最終氷期に当たる2万年前、東京湾が陸化し、関東平野一帯は広大な陸地となり、その後、同じような動きを繰り返しながら、縄文時代に当たる7千年前、温暖化した地球の気候により海面が上昇し東京湾が形成され、海は内陸地に広がった。その海が干上がって現在の地形が出来上がっているのだ。

地層の歴史のことになる。房総半島を鴨川から東西に走る嶺岡山地は、銚子で見られる愛宕山層と銚子層に次いで古い地層(4000万年前)である。この山地を境に、地質構造が北と南とでは異なっているという。成り立ちが違うのだ。海洋プレート(フィリッピン海プレートと太平洋プレート)が陸のプレート(北米プレート)の下に沈み込むことで房総半島は生まれた。半島沖の海溝で海洋プレートは陸のプレートに沈み込み始めるが、安房丘陵はこのフィリッピンプレート上にあった堆積物がはぎとられて陸側に押し付けられてできたものであり、(上の半島の成り立ちを示す図を参照されたい)嶺岡山地、保田層が含まれる。嶺岡山地から北側は、プレートの凹地が浅海となりそれが砂や泥によって埋め立てられ、その上に火山灰が積もってできたものである。

この嶺岡山地・保田層よりも古い地層が、銚子半島の地層である。2億年前のジェラ紀の愛宕山層とその後の白亜紀に形成された銚子層が見られる。因みに、本年9月に日本ジオパークとして認定された銚子市にある犬吠埼の白亜紀層(国指定天然記念物)がそうである。この地層は日本列島形成期のものと同じものであるが、但し、これは房総半島にあっては例外的な地層のようで、半島のほとんどの地質は大変新しい大地であるとか。下総台地などの房総半島の地質は260万年前以降のものであり、九十九里平野や谷津の低地はそれよりも新しく2万年前のものである。尚、ジオパークとは、犬吠崎の他、屏風ケ浦などがサイトとして指定されたが、ジオ(地質・地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズム楽しむ場所と館内の展示物にあった。

講義の後半は、各地域の代表的景観を例に地質との関係について。

○嶺岡山地・安房丘陵
嶺岡山地や安房丘陵は隆起してできたものと筆者は聞いていた。確かに隆起には違いないが、沈み込む海洋プレート上の堆積物がはぎとられて陸側に押し付けられてできたもの(付加体と呼ぶ)と教わり納得した。嶺岡山地は隆起したというよりも地下から“絞り出された”ものであるようだ。それを証明するものが、房総にはない硬い岩石である蛇紋岩や玄武岩、ハンレイ岩。蛇紋岩はマントル物質が変質してできた岩石で、地下深いところから突きだされたものである。この一帯はこの硬い岩と砂泥が混じっているので地盤がもろくなっており、地滑りが頻発する。
   
南房総市の野島崎灯台下の地層は300万年前にできた層で、砂と泥が交互に積み重なり変形した地層。海溝では水平であったものが、押されて持ち上がり地表では急斜面にあった断層も見られる。これはフィリッピン海プレートの沈み込みに伴う地殻変動の影響を強く受けたところである。 地震による隆起もこの地域の特徴である。大地震の度に隆起している。1703年の元禄大地震では4.5m、1923年の関東大地震では1.5m隆起した。この元禄型地震は1000年単位で発生しているという。野島崎灯台と海岸


○上総丘陵
鹿野山、鋸山、清澄山など300~400m級の低い山と、養老渓谷、九十九谷の浸食谷、深い渓谷を刻んで北へと蛇行して流れていく小櫃川、養老川…。これらは上総丘陵の特徴的地形だ。300万年前、この地域が深海であった頃海底谷から泥砂が東に運ばれて海底扇状地が作り出され、その後、250万年から40万年前に砂・泥が堆積してできたものである。

第14・15回講座で、砂と泥が互いに重なり合った養老渓谷の地層を見たが、これはこの地域が深海であった時代に堆積したもので、この地層はタービタイトと呼ばれ、地震によって海底で混濁した土石流が流れ出て堆積したものである。この地層から天然ガスやヨードを含んだ化石海水がとられ、生活に利用されている。尚、海底の土石流はよく発生しているとのことで、海底に敷設されたケーブルが切断されるのもこの影響で、3.11でも仙台湾の海底でも発生したという。又、先日、90万年前にいたトドの化石が発見されたとの新聞報道があったが、これも上総丘陵で発見されたものである。
深海底の土石流


○下総台地
下総台地は、千葉県北部から市原市、木更津市を含む標高も低い平坦な大地である。枝状に延びる谷津と東京湾の干潟が地域の特徴的地形となっている。上総丘陵は45万年前に陸化したが、北部の下総台地は取り残されて内海となり、その後この内海に砂が堆積してできたのが下総台地である。浅い海の貝の化石を多く含んでいる地層である。8万年前に陸化したものだ。地表には富士火山などの噴火により火山灰が積もった。赤土で知られる関東ローム層の土である。

“これは貝塚ではなく自然貝層です、” と強調してもなかなか理解してもらえないのが下総台地にある「木下(きおろし)貝層」(印西市)と、岡崎講師は嘆いておられたが、この地層は台地の成り立ちについて語ってくれるものだという。12~13万年前の貝の化石を含む地層であり、その貝の密度は半端ではないそうで、国の指定天然記念物になっている。ご自身が係わったものだそうで、氷河期のことが読み取れる貴重な地層だとか。

10万年周期で寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)を繰り返す地球の気候の影響で、海面が上下している。最終氷期の2万年前に比べ、現在は海面水準が120㎝も低い。博物館に展示してあったナウマンゾウは22万年前にいたものだそうで、この時期は古東京湾が浅い海からときどき陸になった時期である。地層は何を物語るか?貝化石のある地層の断面から、古東京湾の海面変動の様子を読み取ることができる。中央の砂状の層は温暖化し陸地化したことを示している。
  
古東京湾は最終氷期に干上がり、河川による陸地の浸食が進み、房総半島のいたるところに谷が刻まれた。これが台地の至るところに見られる低地の基底となり、その後、縄文時代のことになるが、間氷期の7000年前に海面の水準が上昇し、それらの谷は海となり細長い入江状の海底に泥が多くたまった。この縄文海進後に海面は数m低下し、谷は川から運ばれてきた砂や泥で埋め立てられた。その地形が谷津である。東京湾に大きな河川の河口には川が運んだ砂によって三角州が形成され、できたのが干潟である。太平洋岸では、屏風ヶ浦や大東崎などの地層が波で削られ、その砂が沿岸流に運ばれて、広大な九十九里平野が形成されていった。このように、下総台地の形成には、地球規模の氷河性海水準変動が大きく影響したことになる。今、波による浸食を防止する屏風ヶ浦の護岸工事の影響で砂の動きが変化して、九十九里の浜の砂が減っているという。

地震による変形。200年前の地震の爪痕。中央に波形文様が見られる。これは液状化の跡で、山の頂上のようなところから砂が地面に噴出した。
プレート境界に無数の地震の跡。赤く見えるのは地震の震源。立体で作られていて、この写真では見えないが、地震の深さも分かる。
房総半島の沖で接する3プレート。左側がユーラシアプレート、中央はフィリッピン海プレート、中央上は北アメリカプレート、右側が太平洋プレート。房総沖ではフィリッピン海プレートがもぐり込んでいる。

次回は、第46回講座(12月13日) 
講座名:「房総の漁撈文化」  講師:田村 勇氏

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