第38,39回講座「里海・里沼の活用論」

講師 清宮光雄
開催場所 印旛沼
開催日時 2012年11月8日

テーマは、「里沼の活用」
印旛沼にてフィールド学習&座学

千葉県を代表する里沼である印旛沼に出向き、フィールドでの学習と座学。印旛沼漁業協同組合の水産センターに集合し、印旛沼に関する講義、船上から観察、植生の再生現場視察と、バラエティに富んだ講座が開催された。印旛沼については、江戸時代から行われてきた開拓の歴史のことを知る人はいるが、沼の自然やその保全の取り組みのことについては余り知られていない。3人の講師はこの沼を熟知するベテラン、それぞれから里沼・印旛沼の自然の現状と環境問題について学んだ。印旛沼で行われている沈水植物の再生実験のことについては、直前の中央博物館での講座で聞いていた。今回、その現場を訪れ、ここで行われている実験の成果や失敗談を見聞きし、改めて残したい自然の姿と失われた自然の再生の難しさについて思い知らされることになった。

清宮 光雄講師印旛沼漁業組合水産センター

第38回・39回講座「里海・里沼の活用論」

講師 :清宮 光雄氏(印旛沼漁業協同組合長)
    川津 浩二氏(千葉県水産総合研究センター 主席研究員)
    入江 光一郎氏(株式会社水辺環境研究所 代表取締役)
日時 平成24年11月8日(木)10:00~15:00
会場 印旛沼漁業協同組合会議室・植生再生現場及び自然観察船
内容 印旛沼の歴史と現状(清宮講師)、印旛沼の魚介類について(川津講師)、沈水植物による植生再生実験・沼の自然保護について(入江講師)、それぞれから話を聞いた。

清宮講師の話を全員で聞いた後、2グループに分かれて相互に座学で学び、観察に出た。川津講師の講義は印旛沼の魚介類に関するもの。植生再生実験が行われている現場観察は入江講師の解説付き授業。水平線上に筑波山がくっきりと見える小春日和の秋空の下、湖上からの自然観察も楽しんだ。

川津 浩二講師入江 浩一郎講師

流域の再生事業が進む印旛沼とその歴史
印旛沼の現状について淡たんと語る清宮講師は、この地で生まれ育った生粋の印旛人である。初めの20分間、昭和44年に国による印旛沼開発事業がようやく終了し、暴れ沼と言われた印旛沼も洪水の心配がなくなったことや、今では印旛沼は、農業用、水道用、工業用の貴重な水資源として千葉県の経済を支えていること、新たな課題として水質保全や水環境の改善といった流域再生事業が現在行われていることを紹介。周辺の都市化による沼のヘドロ問題に頭を痛める組合長は、花見川流域の堤防の問題により東京湾への流水量制限が、問題解決に陰を落としているのではないかと憂えておられた。そのヘドロから放射能が検出されたそうだが、幸いに魚に影響はなかったとのことである。

印旛沼のことは、その苦闘の歴史を知らずには語れない。関東農政局作成の「開拓維新記」というりっぱな小冊子が机の上に用意されていたので、少し長くなるが、この冊子から引用させてもらった。
「印旛沼の歴史を紐解くとき、その後の進む道に大きな影響を与えたのは、徳川幕府が行った利根川東遷といってよいだろう。利根川東遷は現在の隅田川筋を下って江戸湾に流れ込んでいた利根川の流れを銚子方面に変える流路変更の大工事である。(小略)もともと印旛沼はその成立ちから、鬼怒川(利根川)の遊水地であった。幾度となく襲う洪水は、印旛沼とその周辺に大きな被害をもたらしたが、人々はこの地にとどまり、洪水との闘いに果敢に挑んだ。
江戸期には水害防止、舟運、開墾を目的に印旛沼の開発として、享保、天明、天保の三つの掘削工事が実施された。それぞれの工事は挫折をみるが、そこから人々は立ち上がる。洪水と闘う印旛沼の風土は旺盛な開拓精神を生み出し、その志は明治以降の印旛沼開発に道をつけた。積年の願いは、戦後の「印旛沼開発事業」に至ってようやく実現をみる。いま、印旛沼は水管理のもとで、工業、水道、農業用水源として、また、洪水調整の役割を果たしている。」

沼の移り変わりと生息する魚介類
千葉県の出先機関である水産総合研究センターで内水面水産を研究する川津浩二講師による講義は、沼の移り変わりと魚介類のことをテーマにするもの。特にウナギとナマズの世界について丁寧な説明があった。

北沼と西沼に分かれ、水路で結ばれた2つの沼が印旛沼である。三分の一に縮小したといっても11万km2という広さであり、水辺に立って眺めても1つの沼にしか見えない。北沼は長門川で利根川につながり、西沼は新川、花見川を経て東京湾へとつながっている。通常は、沼の水は花見川には流れず、利根川の方に流れる。東京湾側の方が高いからとか。しかし、増水したら洪水を防ぐため印旛機場から利根川に排水し、それでも水位が下がらないときは、大和田機場から花見川を経て東京湾にポンプで排水されることになっている。

印旛沼川鵜の群れ

気になる水質のことである。沼の水質悪化の背景には、広さは全国25番目であるが、全国第3位となる77万人の流域人口が引き起こす問題がある。都市化という環境の変化が水質の悪化をもたらしている。環境省が定める印旛沼の環境基準値(COD)は3だそうで、多少は改善しているものの、この沼の年平均環境基準値は10前後と依然として水質は改善されていないとのことであった。沼の魚を研究する川津講師によると、もう少しきれいになってもらいたいと断りながら、魚にとってはこの水質はそんなに悪いものでもないとのことであった。
印旛沼には10の河川が流れ込んでおり、これが沼の水となるが、一部は水位を調整するために利根川から酒直(さかのう)機場で汲み上げている。沼に入り込んだ水が外に流れ出る迄の日数が滞留日数、この日数が23日とか。これが長過ぎるのかどうかは判らぬが、水の動きが少ない沼であることは確かだ。

さて、印旛沼に生息する魚のことである。昔からこの沼や利根川流域に生息していた在来種24種と、ビワヒガイ、ハス、ワタカ等琵琶湖から移入した魚やブルーギル、カムルチー、オオクチバス等の外来種を含め、現在、36種の魚種が沼で確認されているという。昭和初期までスブヤツメ、ギバチ、シマドジョウ、ホトケドジョウが、昭和40年頃にはゼニタナゴ、ミヤコタナゴ、ムサシトヨミが、昭和60年代には未だメダカ、ヌカエビが未だ見られたが、開発事業の完成を境に生存する魚介類は大きく様変わりし、これらの魚はもう姿を消していなくなったそうだ。一つ一つの魚について解説があったが、省略する。
最後に、ウナギとナマズについて解説された。漁業組合はニホンウナギの養殖事業を営んでいるが、沼にも天然ウナギの生息は確認されているという。閉鎖水域となっている現在の沼にウナギがどうのようにしてたどり着くのか、残念ながら聞き漏らした。かつて田圃に上がってきていたニホンナマズも減少しているようで、それは用水路が原因とのこと。沼ではアメリカナマズが圧倒的に増えているとか。こうした魚を獲る漁法であるが、張網漁、曳き網漁(エビ、ワカサギ、雑魚等を対象)、筒漁(ウナギを対象)、柴漬け漁(冬は雑魚やエビ、夏はウナギを対象)が現在行われている。漁獲量の三分の一を占めるコイ、フナなどは張網漁で獲られている。最近は伝統漁である柴漬漁が増えているという。

沈水植物再生現場で目覚めた沈水植物と透明になった水

沈水植物の再生実験と水辺の資源保護
水辺の環境保護のスペシャリストである入江講師は、植生の再生実験が行われている漁業組合裏の現場に案内し、人口池で行われている取り組みについて説明された。ガシャモクやトリゲモなどが復活し、水の透明度が高くなっている池を見せてもらった。中央博物館での実験よりも大掛かりな実験が行われていた。

桟橋に移動して、移植されたヨシ原の再生現場について説明があった。アメリカにはミティゲーションと呼ばれる環境を維持する考え方があり、開発を行う場合には環境への影響を最小限に抑えるための代替となる処置を行わなければならないという考え方だそうで、ここの葦原はこの考え方を導入して開発が行われた印旛沼の水辺から移植されたものとか。 
船上に場を移し、沼の対岸に見える現場を指しながら、これは失敗した実験であったとその原因などを解説された。沼ではこうした植生の実験が試みられている。なかなか思うようにはいかないようで、保護された池でのケースと違って自然の沼の中での実験は、荒天などいろいろな要素が絡まるだけに、試行錯誤が続いている。



浜名湖から運ばれてきたという観光船に乗り、北印旛沼まで航行しヨシが茂る湖畔や湖上の鳥たちを観察した。この船を自然観察船として活用して欲しいと願う入江氏は、首都圏に残る自然豊かな印旛沼の惚れ込み、ここをフィールドの水辺環境の再生に取り組んでおられる方である。伝統漁法ボサ漁体験や、貴重動植物・野鳥観察、印旛沼遊覧などいろいろなプログラムと組み合わせて観察船を利用してもらいたいと強調された。多くの人が体験する機会をもてればと思う。



次回は、第39・40回講座 11月15日(木) 10:00~15:00
講座名:観光まちづくり
講 師:浅井 信氏
会場:船橋市勤労市民センター及び船橋市内街歩き

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